安倍なつみとふりかけオジサン

終わらない、終わらないと考えていると、
本当に終わらなくなりそうなので、
終わる、終わる、と念じてみた。
...終わる気がしてきた。

文章というのは、事象を表すだけではなく表現の一つでもあって、俳句や詩なんてのはその顕著たるものだ。いわば、自分の気持ちを映し、読み手に伝える手段でもあり芸術でもある。安倍なつみがエッセー集なんかで詩をパクってたことがばれて、紅白辞退やら、来年まで活動休止やら、大変なことになっているが、それもその時の気持ち。絶対ばれるに決まってるだろうに、やってしまった。そして、活動休止。もう、アフォなんじゃないかと思うが、実は僕らは、そんな大人たちと常日頃から出会っている。
例えば、頭にふりかけしてるオジサン。絶対ばれてるのに、ばれてないと思ってる。いや、ばれてないと思いたいのだ。「自分は〜、髪がフサフサのやつと変わらないんやでぇ〜」と思いたいのだ。最初は少しだけ振りかけたはずの「ふりかけ」も、誰も何も言わないし、ばれてないんじゃないかと勘違いする。満員電車でも誰も何も言わない。会議の時に同僚にも部下にも言われない。あ、これ、いけるんちゃうか、と思ってしまっているのだ。ところが、水面下ではウワサになり、当然街ゆく人も見て見ぬふり。自分の中でも、ちょっといくらなんでもばれてるだろうと、ハッと気づいた頃、もう完璧なハゲをふりかけだけで隠そうとしていた取り返しの付かない自分にようやく気づき、後戻りができなくなっている。ある時、電車に乗っている小学生が「ふりかけオヤジ」と呼んでいるのを聞いて、夢から覚めるのだ。そして、ふりかけを辞めて、かつら道にて再出発する決意をするのだ。ボクも最近は薄くなってきた気がするので、人ごとではない。ちょっと前に銀座線で出会ったふりかけオジサンの後頭部を見てそんなストーリーを想像していたわけだが、仮に友人、知人がふりかけを始めたとき、「やめとけよ。ばれてるから。」と言える大人になりたい。
そして、まったくもってファンではありませんが、なっちもがんばって再出発してください。